夢中なの♪

  • 2011年06月06日20:12

久しぶりの日記でございます。

最近はヨガの事で頭がいっぱい!
今年に入ってからヨーガ療法士の勉強をしています。
資格を取るのに3年かかるからまだまだ先は長いのですが、
6月に実技の中間試験だから、来月は試験に向けての予行(チェックみたいなもの?)があるそうですげっそり

ヨーガ療法士の存在を知ったのは、数年前に佐藤先生が参加された「東洋医学シンポジウム」のとき。
私は受付のお手伝いで行ったんですが、そのシンポジウムで講演される先生の中にヨーガ療法士さんがいらっしゃいました。
講演を聞いていると、何らかの疾患(心身症とか)を持った方に行うヨガで心と体を繋ぐことが目的だと言われていました。

その時私は習い事としてヨガをしていたんですが、あくまで自分の体調維持のためにやっていただけ。
ヨガにこんな可能性があるとは知りませんでした。
もともと姉が臨床心理士なので、カウンセリングやメンタルをケアするって事が当たり前?の家庭(「ちょっとしんどいー、カウンセリング行ってくる~」みたいな)で、
学生時代、よく姉の本棚から勝手に心理関係の本を読んでいました。
興味のあった分野と今お稽古でしているヨガがガチューン衝撃と合体した瞬間ですよ(笑)
すぐに資料請求をしました。

で、やっと関西での講座に申し込めて勉強してみたら、めっっちゃおもろい!
今までヨガと言えばキレーなオネーチャンがキレーなポーズを取るってイメージが強かったですが、ココの先生にしたら「意味ねーよ」って(笑)
※こんな言い方ではありませんが…ウッシッシ

もともとヨガはチベットの山で修行する行者さん達がしていたものですが、
険しい崖だらけの山だから、雑誌で良く見るような手足を広げてポーズを取る場所なんか無いんだそうです。
N.Y.とかのオサレなヨガではブロックやバンドなど器具がつきものですが、行者さんはできるだけ荷物を減らして山を登らないといけないから、ヨガで使うのは自分の肉体のみ。
左右の手を押し合う…など負荷をかけて鍛えるそうです。
で、負荷をかけることで柔軟性もつく。
うそだぁ。と思ったけど、実際私もやってみて柔らかくなってビックリ!

そして、ストレッチとか筋肉をビローンと伸ばすような事はしないそうです。
(注:カッチカチに固まってしまった人にストレッチは有効です)
心と体を繋げる、そしてしなやかで強い体を作る。
そういった行者さんのヨガを元にして作った動きを使います。

今までのヨガに+してこのチベット式ヨガの要素も入れていきたいんだなぁ。
そいで、患者さんにむけてのヨガプログラムを作れるようになりたいのっ!
ドイツではヨガは保険適応されるんですよ。
チェルノブイリの2世3世の方に向けてもヨガが使われています。
日本も予防医学や行動療法のひとつとして認可されたらいいのになぁ。
薬は使わないし、自分でできる事だし…。

ただ、震災のボランティアに行った話を聞くと、100人いたらほとんどの人は針やマッサージなど施術してもらう方を選ぶそうです。
私もマッサージは好きだから、気持ちは分かる…あせあせ
「いつまでもマッサージに来てくれないでしょ」って自分で健康を作ろうとする人は5~6人くらいだって。
やりたくない人を無理に追いかけられないし、そこは難しいところですよね。

 

 

振り返り コメント

ここから3年後、無事ヨーガ療法士の資格を取ることができました。
生徒さんのデータを取ってレポートを書く課題もあったりして、変化を客観的に見ることを学べ、レッスンで提案できるアーサナ(ポーズ)のバリエーションも増やすことができました。

でも、残念ながら今は資格を更新していません。
理由は、体に対する働きかけだけでなく、生徒さんの深い心の中にも触れるようなカウンセリングの講義を受けることが、必須科目になったからです。
カウンセリング関連の講義が始まって、グループワークの実習をすると、決まって私の調子がとても悪くなるようになりました。

でも、その講義を受けないと、資格の更新ができないことに…😢
困ったなぁ、と臨床心理士さんに相談してみると、私は療養生活の体験から無意識の世界に入ってしまいやすいそうで、グループワークで吐き出される色々な感情をもろに受けてしまうみたいです。
そして、「カウンセリングの仕事って、濁流に流されている患者さんの手を自分も濁流に片足つっこんで、引っ張る上げるような仕事だからね。臨床心理士って、因果な仕事よ。」と言われ、復帰したての私が数回の講義を受けて入る世界ではないな、と痛感しました。(大丈夫な人も、もちろんいらっしゃいます。というか、私がレアケースなんだと思います。)
こんな経験もあって、私はヨガの講師として生徒さんの「体」に重きを置く講師になろうと決めました。
悩みは全く聞かないよ!という意味ではなく、気持ちを聞かせてもらえた時の「責任」みたいなものを心にとめて、生徒さんと向き合っていきたいです。